■ 常識にとらわれない態度が自らの運命を切り開く

■ 常識にとらわれない態度が自らの運命を切り開く Change your perspective, when in challenging.

 
【経営破たんの危機から今やトップメーカーに躍進したその奇跡の大逆転経営】
 
カンブリア宮殿に登場した酒造メーカー旭酒造社長の桜井博志氏。経営破たんの危機から今やトップメーカーに躍進したその奇跡の大逆転経営から私は重要なことを学んだ。それは「常識にとらわれない」、あるいは「常識を捨てる」でした。今日はある経営者の成功の秘訣とも言える「常識を捨てる」について考えて見ました。その価値を一人でも多くの方と共有できれば幸いです。
 
旭酒造は日本酒メーカーながら1999年に当時ブームだった地ビール事業に手を出した。山口県岩国市の錦帯橋の近くに地ビールレストランを開業し、わずか3ヶ月で撤退した。残ったのは1億5千万の借金と負債だけではなかった。杜氏は全員そっぽを向き社長のもとを去っていった。酒造メーカーにとって杜氏とは生産現場の職人であり現場監督者でもある。いわば酒が一切製造できない経営危機に陥った訳である。その当時の状況を桜井社長は「もう会社は潰れたと思いました。」(2014/01/16(木)放送 カンブリア宮殿より抜粋)
 
「ピンチはチャンス」であるという言葉は多くの苦労の末成功した企業トップがたびたび口にする金言であるが、当時の桜井社長には空耳のようなものだったに違いない。しかし桜井社長はこうひらめいたそうだ。「杜氏がいなくなった今、自分で酒造りをやればいい」と。

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1975年から2013年までの国内日本酒消費量と奪際(だっさい)の消費量

全ての仕事には常識が存在するが、酒造業界の常識とは

私の知人にも酒造メーカーの経営者がいるが、今も酒造りの常識は、外部の杜氏という酒造りの職人に現場を任せる、仕込みの時期は11月から翌年の3月までと決まっているのだそうだ。つまり日本酒メーカーというのは酒造稼動しているのは年間11月から3月までの6ヶ月間で、4月から10月までの半年間は酒を製造していないのだ。また社員が酒造するのではなく、杜氏と言う職人集団を臨時雇用して酒造しているのだ。これが酒造メーカーの伝統的な常識であり、誰もそれが最善の方法であり、そこにほかに取って代わる方法などありえないと信じていたに違いない、いや今もほとんどのメーカーがその常識を信じきっていると推測する。しかし桜井社長はこの常識を根底から覆したのだ。
酒造りは入社3年未満の経験の無い社員を始め全員で行う。そして年間12ヶ月休みなく酒造りを行う。そしてメインブランドである純米大吟醸酒「獺祭(だっさい)」はトップブランドまで成長した。まさに獺祭(だっさい)は喝采(かっさい)を持って消費者に受け入れられているのだ。
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フランスでのお披露会でフランス人が獺際(だっさい)を喝采(かっさい)
さらには日本市場で低迷する日本酒需要を横目に世界市場の販路拡大のためフランスはパリに日本食レストランをオープン。フランスという国はおせっかいにも他人を格付け(査定)するという文化があるが、しかしミュランで三ツ星を格付けされればそのブランド価値も売り上げも確実に2倍、3倍となる。フランスの格付け自体が世界ブランドとも言えるのでこれを利用しない手はないが、しかし品質やサービスが優れていないと格付けされることはない。まさに日本の侍(さむらい)が絶対の自信と誇りを持って満を持して世界に出た瞬間のように思う。
常識とは絶えず変化する価値観ではないだろうか】
 
ところで「常識」とはいったい何だろうか?よく「あいつは常識のない奴だ」という言葉を聞くが、それはほとんどの場合、相手を批判している、あるいは自分より劣っていることを他人にアピールしているように思う。しかしよく考えてみると人の常識とはそれぞれ違うことが多い。そして「常識」とはその人の経験と体験に基づき「価値観」として刷り込まれた、目に見えない、何も実体のないものに過ぎないのではないだろうか。つまり「常識のない奴だ」と批判する人は、自分の「価値観」を人に押し付けているに過ぎないとも言える。果たして自分を「常識人」だと自負する人が、自分の所属する会社や業界に対して、どのような成果や変革を成し遂げたのだろうか?はなはだ疑問である。
 
桜井社長が今までの常識を覆したがそれはいずれ次なる常識に定着するかもしれない。しかしその常識もいずれ次なる常識にとって変わるものだ。従って「常識」とは「絶えず変化する価値観」ではないだろうか?常識は絶えず疑うものであり、ましてや常識を盾に人を批判したり、人の優位に立とうなど思わないほうがいい。自分の価値観は親子であっても人に押し付けてはならない。この理解と姿勢こそがいかなる状況におかれても自らの手で運命を切り開くことのできる、「ピンチをチャンス」に変革できる人の態度ではないだろうか?

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