■サットサンガ:精神的指導者(メンター)と学習者(シーカー)の公開討論の勧め

サットサンガ:精神的指導者(メンター)と学習者(シーカー)の公開討論の勧め

【ヨーガは人間を科学する】

私は20代の頃に縁あってヨーガの道に入り、幸せにもインドのBombay (現在はMumbai)にある The Yoga Institute ( ヨーガ研究所) にて1年間の The Yoga Teacher Training Course ( ヨーガ教師養成コース)を終了することができました。その後もインド人だけでなく外国からの学習者のサポートをしていました。私はヨーガをとおして多くの人々と交流しインドの暮しを経験することができました。
私が学習していたヨーガ研究所は、ヨーガの科学を一般の人々に普及・教育するという目的のために Shri Yogendra によって1918年に設立されました。ここでは伝統的なヨーガの教えと訓練法の意味を損なわないで、科学的・医学的な分析に基づき、現代人に合うようにヨーガの訓練法の工夫・改良がなされてきました。ヨーガに興味を持たれる人の多くは、心身に何かの問題を抱え実際に疾患を持っている方、あるいは精神的な悩みを持っておられる方などが、ヨーガにそれらの原因と養生法などの解決法を期待しているように感じました。
コースの一つである7日間の健康キャンプでそれぞれ違う悩みを抱える人々が、一緒にヨーガを学習しお互いに話し合いしながら、1週間後には何人かの人が何らかの解決策を見つけ、晴れ晴れとした顔で家庭に帰ってゆくのを見る度に、ヨーガの素晴らしさを感じたものでした。このようにヨーガには私たちの抱える問題を解決する方法が隠されているのでしょうか? 


 【サットサンガという公開討論】


The Yoga Institute ( ヨーガ研究所)では毎週日曜日にはSatsang(サットサンガ)と呼ばれる集いがありました。これは精神的指導者(メンター)と学習者(シーカー)の集いという意味で、一つのテーマについてメンターがスピーチをするというものです。そのテーマは例えば「人の苦しみの原因は何でしょう」とか「仕事は好き、あるいは嫌いで行ってもよいのでしょうか」など今から思えば哲学的、あるいは普遍的なテーマばかりでした。別の言い方をすれば誰の日常生活にも潜んでいる問題をクローズアップしてそれを考えてみることを提起しているとも言い換えることができます。

Shri Yogendra & his wife, Seetadevi, the founder of the Yoga Institute

Shri Yogendra & his wife, Seetadevi, the founder of the Yoga Institute

そして毎週水曜日には学習者対象に別のサットサンガが用意されています。これは公開討論会です。NHKでも紹介されているハーバード大学の政治哲学教授、「マイケル・サンデルの白熱教室」のようなものです。この番組では、サンデル教授が、私たちが日々の生活の中で直面する難問において、「君ならどうするか?何が正しい行いなのか?その理由は?」と、学生に投げかけ、活発な議論を引き出し、その判断の倫理的正当性を問う番組です。実はサットサンガはインド伝統の公開討論(ディベート)の手法でもあったのです。
Dr. Jayadev Yogendra & his wife, Hansaben, the Mentors the Yoga Institute
Dr. Jayadev Yogendra & his wife, Hansaben, the Mentors of the Yoga Institute

さて水曜日のサットサンガ(公開討論)に話を戻しますが、これは輪番でスピーチが回ってきます。私も何度もテーマを決めてスピーチを行い、質疑応答をしたものです。これは人前でスピーチをし、他の違う意見の持ち主と討論し、議題や問題を解決するための能力を高めるためには必須の訓練法と言ってよいでしょう。実際にその後の私のスピーチ能力向上に役立ちました。効果はそれだけではありません。理性と感情を切り離して話ができるようになります。

Dr. Jayadev Yogendra & his wife, Hansaben, the Mentors the Yoga Institute
Satsang with Smt. Seetadevi and seekers at the Yoga Institute
【感情の波に溺れる理性】

私たちの多くは好き嫌いがあり、それが食べ物だけではなく、人にも及びます。そして嫌いな人の言うことには嫌悪感を抱きます。それが例え筋が通っている正論でも、心の中では「いくらおまえががいい(正しい)ことを言ってももダメなんだよ」と聞く耳をもちません。

それが正論であると理性が判断しているのに、感情がそれを受け入れることを拒否しているのです。このような経験はありませんか?例えその人があなたの嫌いな相手でもその人の正しい意見までも嫌いになる必要はないのでは?そのようなことを諌めたのが、『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』という諺ではないでしょうか。

あなたの周りの社会、つまり家族、近所、地域コミュニティ、趣味サークル、そして職場においてこのように感情の波に理性が溺れたことはありませんか?ヨーガはこれこ

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