南インド巡礼の旅

ナーディ・リーディングの処方箋

私は9月に南インドは東に位置するタミル・ナドゥ州に巡礼の旅に出かけてきました。それは全行程1,000km以上の経路に点在する寺院をめぐり所定の作法によって宗教的儀式を実施するものでした。

そもそも事の始まりはナーディリーディングでした。それは椰子の葉に書かれた私の運命の予言書に出会ったことがきっかけでした。ナーディの葉は別名、アガスティアの葉とも呼ばれ、それを必ず見に来るであろう個人の運命的なカルマとその処方箋(救済策)を記述した予言書なのです。

南インドには東西にそれぞれタミルナドゥ州とケララ州が南北に長く位置しています。これらの州はインドの北からアーリア人が侵攻する前からインドに住んでいた原住民、いわゆる土着のインド人の母なる大地なのです。

そこには今でこそ世界によく知られるようになったアーユルヴェーダ、シッダ、いわゆるホリスティック自然医学などの発祥の地と言われています。また多くの聖者、あるいはヨーギと呼ばれる精神的指導者たちを輩出した土地でもあります。

例えば近代ではラーマナ・マハシリ、シュリ・シュリ・ラヴィシャンカール、シュリ・オーロビンドなどなど、実際に私も今回の巡礼の旅の途中にラーマナ・マハシリのアシュラム、いわゆる生活共同体にも訪問しましたが、一見して多くの西洋人(東西ヨーロッパ、南北アメリカ)たちがアシュラムに暮らしていました。

実は南インドのタミルナドゥ州は時代をさかのぼること1000年前から近代まで多くのシッダ(覚醒した人)、あるいは精神的指導者、別名、聖者を輩出した土地柄なのです。特に18人の聖者の存在が知られています。その中にあって筆頭、あるいはグルのグル、あるいは聖者の中の聖者と呼ばれる人がアガスティアと呼ばれる人なのです。彼らは同時期に生きた人々ではなくそれぞれ時代を別々に生きた聖者だと考えられています。

その18人の聖者が時代を超えて、弟子から弟子へと秘密裏に申し送りしてきたであろう一大プロジェクトがナーディ・リーディングと呼ばれるものです。それは個人の運命的なカルマとその処方箋(救済策)を記述した予言書なのです。

その予言書は必ず見に来る人の数だけ用意されていると考えられています。予言書が用意された個人はその内容を見るタイミングが来たとき、自ら足を運んでその地まで出かけ、ついに自分の予言書を見つけるのです。予言書の内容の口述を聞いた瞬間にそれが自分のことを記述したものに間違いないと理解します。これが自分の運命と対峙する瞬間です。

そして自分のカルマを知り、使命を理解し、記述されたカルマの処方箋(救済策)を実施し、運命を変革しようとします。徐々に運命をブロックしていた障害が軽減され、運命の歯車が進むべき方向へと変わり始めます。やがて才能を社会に役立て、使命(ミッション)を遂行し、ついには自己実現を果たすのです。ナーディ・リーディングとはこのような個人の運命を修正し自己実現を果たすための壮大な意図が隠された時空を超えた一大プロジェクトだと考えています。

ヒトの本質とは

しかし現代教育を受けたほとんどの方はこのような話は聞くに堪えないと思います。自称、スピリチュアルな人にさえそのような話はにわかには信じられないと思います。多くの人は1000年前に聖者が存在していたことは理解できるけど、ではどうして1000年後に存在している個人の運命の予言を知る由もないと思うでしょう。それは次の2つの事実を理解しなければなりません。

1つはヒトとは転生を繰り返している存在だということ

ヒトの本質は意志を持った不可視の生命体、あるいはエネルギー体です。それを覆うように肉体という質量の重い物質をまとって生きている存在なのです。肉体という物質は必ず経年劣化し、使えなる時がきます。その瞬間、ヒトは肉体という古い服を脱ぎ捨て、本来の姿である意志を持った不可視の生命体に戻るのです。

その生命体が再び転生するかどうかは、転生しなければならない必然性があるかどうかによって決まると考えられています。転生する必然性がなくなった生命体はもう転生しないはずですし、転生する必然性がある生命体は再び肉体を得ることになります。そして新たな時代に、新たな場所で、新たな両親の遺伝子を受け継いで、新たな容姿と名前を与えられ、転生、あるいは再生するのです。

2つは時間とは焦点を合わせた時点が現在だということ

肉体をまとったヒトは3次元で生きています。その時間の概念は確かに過去は過ぎ去った時間、未来はまだ来ていない時間と理解しています。しかしその3次元にあっても焦点を当てている時間が現在なのです。

例えば愛する人を突然事件や事故で失った人にとってその耐え難いほどに悲しく辛い思いは、仕事に集中している間は忘れていますが、仕事から解放された一人になるとまた愛する人との生前のことを思い出します。その時間はその人は過去に集中しています。そしてまたあの耐え難いほどに悲しく辛い思いを体験するのです。つまりその瞬間その人は過去に生きているのです。

デジャヴとは透視能力のことですが、それは未来を予見するのではなく、ある未来に焦点を当てることによってその映像を現実、あるいは現在として見ることなのです。例えばあなたが歩いているとき突然ある映像が脳裏に浮かんだとします。それはある交差点で黄色い乗用車と赤色の電光ライトを4つつけた大型トラック車が衝突する交通事故の映像です。あなたは怪訝に思いながらしばらく歩いていると後ろで大きな音がしたので振り返ると交通事故でした。驚いたことにその二つの車は先ほど脳裏に浮かんだ映像そのものでした。

あなたは未来に起こることを10分前に予見、つまり起こる前に見たということになります。だとしたら疑問が残ります。どうして10分前に10分後の未来に起こるはずの未来が見えるのでしょう。答えはこうです。未来はまだ来ていないのではなくもう存在しているのです。つまり焦点を合わせればその瞬間が現在になるということです。これが時間という概念なのです。

シッダとはヒトの潜在能力を極限までに開発した人

シッダと呼ばれる聖者たちは私たちと同じ人間として生を受けた人です。私たちとの違いは何かと聞かれればそれは彼らはヒトとして備わっている潜在能力を極限までに開発した人たちなのです。そこが私たちとの大きな違いだと言えます。

南インド巡礼の旅にはブリンダーバン・ミステック・サービス(Brindavan Mystic Services)という専門会社から若いラウルくんが道先案内人として同行してくれました。彼は年間を通じて世界中からの個人や団体の巡礼の旅を道先案内していると聞きました。彼にとってシッダ、聖者、超能力者、精神的指導者、奇跡を起こすヨーギなどは小さいころからなじみのあることです。彼にとって奇跡を起こす人など何も驚くことではありません。私は彼にシッダが身につけた数々の超能力、あるいは奇跡について質問しました。

私「シッダ(聖者)とミスティック(超能力者)はどのように違うの?」

彼「シッダは超能力を自分の成長のために使い、大衆には見せません。しかしミスティックと呼ばれる超能力者はそれを自分のエゴのために使い、大衆に見せます。」

私「なるほど......」

私はそれを聞いてよくテレビで見る光景が浮かびました。知事公室で企業の社長が寄付の目録を知事に直接手渡しているあの光景です。これって、事前にテレビ局に通知して、テレビ放映を依頼しているわけですよね。かつてタイガーマスクという匿名で孤児のためにランドセルなどを寄付した人がいましたが、まったく目的と行動が主客逆転していますよね。

私のナーディの葉に記載された処方箋は全部で7つの寺院を巡礼して所定の神様に対して所定の作法で宗教的儀式を実施するというものでした。中には1000年も前から存在している寺院もありました。寺院全体が石で建築され、柱も天井も床も石でした。特に床は至るところがくぼんでおり、建設以来大勢の人がこの床を歩いたことが分かります。

インドの寺院の多くはそれぞれが違う神様を祀っています。9つの惑星も信仰の対象として祀られています。そのため所定の神様に対して信仰を捧げようとするとそれを祀った寺院まで出向く必要があります。従ってあちこちに点在した寺院を日にちをかけて巡礼する旅となります。

私が南インド巡礼の旅で深く感じたことは信仰とは生活の一部であり、よりよく生きるための精神的支柱であること。そして寺院は死者を弔う場所ではなく、生活者がその信仰を神に捧げるための祈りの場であるということです。そして僧侶は人間の信仰を神に捧げるための仲介者ということです。私の心の旅はこれからも瞑想を通じて続きます。以上、南インド巡礼の旅のご報告でした。

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