人は生きているのではなく、生かされている

私は今まで4回以上大きな事故をしています。それは一歩間違えば、あるいは当たり所が悪ければ即死、あるいは障害者になっていたと思います。しかしそれらの事故すべて奇跡的に事なきを得て現在に至っています。私は事故からある確信を学びました。それらは宇宙法則であり、その後の私の原理原則になっています。本日はその概要をお伝えしようと思います。

保育園の時に体験した出来事​

最初は保育園に入る前のことでした。今も実家のすぐ近くには幅の広い大きな川があり立派な橋がかけられているのですが、その当時は河川改修をする前で小さな川幅の川に赤色に塗られた鉄の橋がかかっていました。ちょうどそのころ自転車を買ってもらい補助輪をつけて練習をしていました。

ある日、補助輪をつけた自転車に乗ってその橋を渡り切ったとき事件は起きました。なんと自転車はバランスを崩し、私は自転車ごと崖から落ちそうになりました。その下は川です。崖の高さは3メートル以上はあったと思います。

私はそのまま川に落ちると思いましたが、下から突風のようなものが吹き上がり、自転車ごと反対側の地面に倒れました。私は即座に誰かに助けられたと思いました。そして川の方の虚空を見ながら合掌して感謝の気持ちを伝えました。この出来事は今でも鮮明に覚えています。

小学校の時に体験した事故

実家は海の近くでした。小学生のころ夏休みの楽しみの一つは海水浴でした。ビーチに出るには国道を渡らなければなりませんでした。いつもは左右を確認して道路を渡るのですが、その日は早く海に入りたくて左右をよく確認しないまま渡ろうとして車にはねられました。身につけていたのは海パンだけでした。

そのあとは気が付けば自宅で寝ていました。どうやら打撲とかすり傷で済んだようでした。その夜は天井が落ちてくるような幻視を体験しました。私はよくかすり傷で済んだなあと不思議に思いましたが、すぐにまた誰かに助けられたのだなと確信しました。そしてまた生かされたことに感謝しました。

大学生の時に体験した事故

次は大学生の時です。クラブの後輩たちと校庭で野球をしていました。校庭は野球専用球場でなく、テニスなどのコートと共有でした。私はそのとき外野を守っていました。ボールが飛んできて後ろに走りながらキャッチした瞬間、何かに身体がぶつかりその場に倒れたのです。一瞬気を失っていたかもしれませんが、周囲でガヤガヤ人の声がするので目を開けてみると空が真っ赤でした。

どこかが大量出血していることはわかりましたが痛みは一切感じませんでした。とても不思議な体験でした。すぐに救急車が呼ばれ、搬送先の病院で即手術でした。テニスかバレーかわかりませんがネットを張るための鉄のポールの歯車部分に顔面を強打したようでした。手術後の傷跡もほとんどわかりません。

この事故でも打ち所が悪ければ、失明、あるいは即死だったでしょう。私はまた誰かに助けられたと思いました。そしてまた生かされたことに感謝したのです。

30代の時に体験した事故

最後は30代のころです。実家の近くに池全体を見下ろすことのできる小高い山があります。自動車道路が完備されています。自転車で道路を下っていたときです。スピードが出ていてハンドル操作を誤り道路から自転車ごと崖の下に飛び出しました。

その時私は自転車ごと落ちてもたぶん落下地点は土だろうと思いたいしたことにはならないだろうと結構リラックスしていました。私は顔を少し横に曲げた形でうつ伏せ状態で落下しました。実際に落ちてみるとなんと落下先はコンクリートでした。後で分かったことですが、落差は4メールほどありました。

しばらくはまったく動けませんでした。時間がたって顔を動かして前を見ると崖の段差は次第に小さくなっているのが分かりました。私はもし身体が動けば自力で道路に上がことができるだろうと思いました。しばらくして身体が動くようになったので通りがかった人に助けられて事なきを得ました。

この事故でも打ち所が悪ければ即死、あるいはその後の一生は車イス生活になったでしょう。なにせ4メートル下のコンクリートに生身の身体が激突し、顔面側部と頚椎打撲しているのですから。この事故で私は明らかに誰かに助けられたことを確信していました。何故なら落下した瞬間、何かクッションのようなものに守られた感覚がありました。そしてまた生かされたことに感謝したのです。

人は生きているのではなく生かされている

私は人生で体験したこれらの出来事と事故からゆるぎない確信を得ました。それは.....『人は生きているのではなく、生かされている』ということです。

皆さんに、「じゃあ、誰に生かされているんだ?」と聞かれれば、私はこうお答えします。

私をまだ必要としている集合意識です」と....言い換えれば明らかに知性と意思を持っている意識のエネルギーの集合、あるいは集合体と申しましょうか。

人の命というのは悲しいくらいにある日突然、それも簡単にこの世から姿を消してしまいます。それは毎日報道される自然災害、交通事故、医療事故、殺人事件のニュースがその事実を証明しています。

あなたは「私はまだ生かされている」ということがもし本当だとしたら「生かされている理由」があるはずだと思うのではないでしょうか。そして次に「その理由とはいったい何だろう」を知りたくなるのではありませんか。

「人は生きているのではなく、生かされている」とは私が自身の体験を通して得た信念です。私はあなたにそれが真実だと断定するつもりはありません。真実は人それぞれ違うからです。ただ誰でもこれを証明しようと思えば証明できると思います。

私からのアドヴァイスは、「人は生きているのではなく、生かされている」と仮定してはいかがでしょうか。そしてあなたの信じた道を精一杯生きてみてはいかがでしょう。時には不安と恐怖に打ちひしがれそうになるかもしれません。でもそれを振り払いながら信じた道を歩むのです。正解や常識や価値観を押し付ける一切のアドヴァイスには耳を貸してはいけません。そしてあなたのオリジナル体験の中からついにその答えを見つけることができると思います。

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