人は印象で判断している

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人の印象を決めるのは3つ合う

自宅から車で10分程度のところに天然温泉保養施設があります。そこは1階がスパ、2階がジムになっています。2階のジムで運動をし、ストレッチをした後、すぐに1階のスパに行きます。

何年も通っていると当然のことながら多くの人と知り合いになります。顔を合わせばお互い挨拶や声をかける人も多くなりました。しかしながら毎日顔を合わせているのに一度も会話をしていない人もいます。考えてみれば不思議なことのように思います。

ある人とは会話を楽しむようなつきあいになっているのに、ある人はまったく会話しないままでいます。いったいどんな理由なのでしょう。ふと考えてみれば、理由などありません。何となくそうなっているとしか言いようがないのです。

本当に理由などないのでしょうか?結局、会話をしないという行動を決断していると言えます。それであれば必ずそのように行動している理由が必ずあるはずだと考えました。そしてそれは印象ではないかという思いに至りました。今日はそのお話をします。

最初に人の印象を決めるのは3つ合うが重要だと思います。それは、

1.視線が合うかどうか
2.挨拶が合うかどうか
3.話題が合うかどうか

まず視線が合わなければそこに意思の交流は起こりえません。どちらかが話しかけようとしても相手が視線を合わせてくれなければ、それは直観的に受け入れを拒否されていると感じると思います。

相手と視線が合えば挨拶ができます。挨拶は知らない相手と知人になるための最初の意思交流のための手段です。最初は挨拶だけで終わるかもしれませんが、何度か繰り返している内に会話に進展していきます。

さて次は話題が合うかどうかです。お互い相手と自分の何か共通の話題を探すものです。その話題を通じて相手の興味や知識、あるいは教養などを推測することができます。

私たちの多くはそれぞれ他人を知らず知らずのうちにタイプ分け、あるいはカテゴリー分けをしています。例えばどちらかというと好き、どちらかというと嫌い、どちらでもないというようにです。しかしその多くの場合はなぜ好きか、なぜ嫌いかという理由を聞かれたら明確に答られないのです。

しかしこのようなコミュニケーションのプロセスを繰り返している内にお互いの印象というものが形成され、次第に定着していきます。これはある人が他人を見ている印象が何度も繰り返し心に蓄積されることでその人の印象が固定化され定義づけられるのだと考えます。

ここで最初の話題のフリに戻りますが、

「ある人とは会話を楽しむようなつきあいになっているのに、ある人はまったく会話しないままでいます。いったいどんな理由なのでしょう。ふと考えてみれば、理由などありません。何となくそうなっているとしか言いようがないのです。」

と思っていましたが、このように考えるとはやりそれなりの理由があったのです。

ある人はまったく会話しないままでいるその理由とは、まずお互いに視線が合わないのです。視線が合わないのですから挨拶すらなく、会話もありません。

反対にある人とは会話を楽しむようなつきあいになっている理由は、視線が合い、挨拶が合い、そして話題が合うからだと思うのです。

皆さんはいかが思われますか。

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